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秋田道夫 [ Michio Akita ]

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1953年6月11日生まれ 大阪府出身

1977年愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業
トリオ株式会社(現ケンウッド)
ソニ−株式会社勤務後
1988年に独立 現在にいたる
愛知県立芸術大学大学院 美術学部デザイン科非常勤講師

[ 賞歴 ]
毎日ID賞特選一席
グッドデザイン賞
日経デザイン賞
JIDAデザインミュージアム収蔵

LED 交通用信号機

信号電材株式会社 2004年
フロリダで開催された「ITE(国際交通機器協会)」の展示会で発表したプロタイプモデル。

インタビュー:秋田道夫氏

dailystyle 私達が始めたデイリースタイルは今までデザインに興味の無かった人や何を選べば良いのか迷っている人たちに良い商品を紹介するためと良いデザインは毎日の生活を豊かにする事を知ってもらうために始めました。

秋田さんは、物を作る側ですが良いデザインとは秋田さんにとってどのような想いがありますか?

秋田 ぼくにとって良いデザインとは、ユーザーの生活レベルを「引き上げる」デザインです。買う人の今の生活に合わせるのではなくて、その人の目標になりうるような「生活」をかいま見せる事の出来るデザインをすることでしょうか。なにが流行っているのかもちゃんと見ていながら、その中の「芯」をつかまえて一貫したスタイルを提示する役割をデザイナーは担っていると思います。そういった意味では、デザインすることはデザイナーの日常、つまり「秋田道夫」そのものがどういう生活をしているかという事に戻ってきますね。うん大変です。デザイナーは。

dailystyle デイリースタイルで色々な物をセレクトして集めてみると、海外のデザインの物が多くなってしまいました。「日本の技術は世界一だけど、デザインだけは追いつけない」とよく言われますが、日本の大手メーカーが良いデザインを作れない理由は何だと思いますか?

秋田 優秀なデザイナーがそれぞれの企業にいて、みな頑張っていると思うわけです。ただ、思ったのは「良いデザイン」が出来ても一過性のデザインとされてしまって、次のリニューアルでは全然そのデザインが踏襲されなかったりすることがあるのが残念ですね。それは単に企業単位でなく、日本の風土として「過去の良いデザイン」というのが継承されていないし、尊重されていない部分を感じます。一部のデザイン雑誌で過去の家具や人物を取り上げると、流行が一局集中してしまって、あたかもその時代に数人しかデザイナーがいなかったかのような印象をもたれかねない危うさを感じます。限定された資料や雑誌では「同じような」ものしか生まれません。

建築や音楽などもプロダクトデザインと思って興味をもつ事が大切ではないでしょうか。テレビを見るのも大事だと思いますよ。これからは「ヨーロッパやアメリカ」でなく中国、韓国のデザインも同様に注目していくのも大切な教養のように思います。

dailystyle 私たちには、個人の想いや生活を変える事は出来ませんが、「デイリースタイルが、心を豊かにするきっかけになってくれれば」と考えています。少し矛盾があるかもしれませんが、売れる売れないばかりで、物以外に大切な事があるのを作り手が感じてない気がします。

しかし、秋田さんのデザインはメッセージが込められている様に感じます。秋田さんは、何かのためや、誰かのためにデザインをしていますか?

秋田 最近もてはやされているデザインを見ているとかたちをきめる要素が「ジョーク」だったり「とんち」だった「見立て」だったり、そう、落語の世界観に近いなあという気がしてしょうがない。すごく日常的なものやことをかたちにおとしこんで、その姿を「デザイン」と言い表している感じです。それは「悪く」はないですが、人生の一部でしかないと思います。目線が細やかで、やさしさに溢れていて、まさしく母親の日常と愛情を凝固した感じです。でも、ぼくが表現したいのはこれに反して「父親の日常と愛情と我慢」なのかもしれませんね。それも「昔の父親」。家ではスーパーなふりをしているけれど、会社ではまったく目立たない「普通」だったりして、散髪屋では日本の将来を案じるような、身の丈にあっていない事を平気で口にしていたつっぱった「お父さん性」の造形化かもしれない。

ちょっと前に、僕のデザインを見てると「君はそれでいいのか」とか「しっかりしろ」とか言葉が浮かんで来てなんだか叱られているように感じると聞いた事があります。それは母親が良く言う「勉強しなさい」という小言ではなさそうです。おやじのお説教のようなものがそこにあるのかと思ったわけです。

それにしても、デザインからのメッセージが「叱咤激励」では買った人は落ち着かないですね。(笑)でもなんでしょう、たまには「叱るデザイン」があってもいいのかなとこのごろ思うようになって来たのです。朝起きて、サーモマグのコーヒーメーカを前にするとおじぎする人がひょっとしていたりするかもしれない。「今日も一日よろしくおねがいします」と挨拶してから家を出ていってたりて。「しゃきっとしましょ」というメッセージは、デバイスタイルの一連のデザインにはあるかもしれないです。

dailystyle 私がいつも思うスタンダードも秋田さんの想いに似ているかも知れませんが、「一生物」と買った物は2年もたたないうちに使わなくなってしまっています。使えなくなった訳では無いのに、いわゆる生活やファッション、テクノロジーのサイクルが速いから、古く感じてしまいます。

何を選んで良いのか分からないと思っている人が多いと思いますが、この事は企業や作り手にも多少なりと責任がある気がしますが?

秋田 将来に残るものは「今まで生き残って来たものだ」と言った事があります。ある意味「正論」だし「かしこい」方法です。しかしながら「過去に無かった」パソコンやら携帯電話なりにはその基準はあてはまならいし、既に技術として遅れているものは将来どころか今も残っていない。ここ何年かで生まれたものは「将来何も残らない」というのが、かなり「勝算の高い」言葉かも知れませんね。

ぼくはパソコンに関しては「最高級」とか「最速」「最新鋭」というものはこれまで買った事がありません。パソコンはどんどん発達する「ソフト」を一時的に入れる「パッケージ」だと感じています。いつでも買い換えれる関係でありたいと思ったのです。今で言えば、携帯電話にも同様に思いいれはないのです。話をするお互いの「言葉の質」こそが大切であって「モノ思い」にふけるのは、そこそこにしておけばという気持ちです。インフォバーもタルビーも、実は「これぐらいでいいんだ」というベターがテーマになっていると思っています。ベストベストでないことはそれぞれのデザイナーが自覚しているでしょう。やはり怖いのは、力んで最高のものを創ろうとして、まわりから理解されない平凡なデザインを生み出すありようが問われると思います。

dailystyle たしかに、日本人はインターナショナルに物事を考えていないかもしれません。私が思う「良い物」とはデザインだけでは無く、バランスなのかも知れませんね。音楽で言う詩が大切か、曲が大切か、に似ていますね、構える事無く「これ良いね!」が一番なのかもしれません。世に出た時からもう作る側の手を離れているし、使う側のスタイルに変わって行く事かも知れませんね。

秋田 そうですね。使って下さる人たちの一家一家まわって「デザインの意図」を説明にまわることは出来ません。購入につながる「一目惚れ」の要素と実際に使ってがっかりさせない「性格の良さ」(悪い方が好きと言う人もままいらっしゃりますが)の両面がやはり「デザイン」だと思います。あとは「押し付けない」事ですね。そういいながらも僕のデザインはちょっと押しが強いかな。(笑)

dailystyle 秋田さんの様に、デザイナーが自分のメッセージを伝える事は少ないと思いますが、先程言われた「秋田道夫」そのものが問われる、とは何においてでしょうか?また、日本を代表するデザイナーと秋田さんは良く言われますが、どう感じていますか?

秋田 若き友人が遊びに来ていて「秋田さんの部屋はいつも片付いてますね。スリッパをいつも履いているし、イスにもちゃんとした姿勢で座っている」と評してくれました。ふだん知っている人の有り様とちょっと違うかも知れません。ぼくには気の抜けた「オフ」という時間があまりないのです。うん、人前でも自宅でも。髪の毛は立ちっぱなしの事はありますが。以前コラムに「近所で火事が起きて、寝間着のままで飛び出したら取材のクルーにかっこいいと撮影されるような日常でありたい」と書いた事があります。

その人の・・・私自身ですが・・のベストを持ち上げるよりも、もっともダサイ部分の底上げに留意すべきだという意味でそう書いたのです。究極センスはお金をかけたときではなく日常のなにげないものを必要にせまられて買う時に働かせる「嗅覚」かもしれないと思います。日本を代表しているとは、まだまだ言えないと思います、なにせ「過去形」にされた歴史がありますから(笑)、もし仮にそうだとすると「助かる」と思う事があります。それは「同じ事」を言っても、相手への伝わり方が違うからです。「平凡」に見えるものも有名であれば、見る側はそこに「意味」を見いだそうと努力します。

コラムもそうでしたが「あたりさわり」のある発言も少なくない私ですが、世の中の人が知らない場合は無視されたものが「再評価」される可能性はありますし、少なくとも「読む方に問題があるのではないか?」と相手に思われるだけでも価値があります。それは自分自身を「実験台」にした仮説の証明でもあります。ただ、単なる僕の入力間違いの言葉が「新語」や自分の知らない言葉と思って苦悩させる事があるのは申し訳なく思っています。これから作る新しいサイトではチェック機能をもうけて正確にしようと思っています。

dailystyle デイリースタイルは、出来るだけ物への想いを表に出さない様にサイト作りをしています。物を見て、何かを感じて、自分自身のスタイルを見つけてほしいからです。秋田さんは、ライフスタイルと言うキーワードを使われますが、秋田さんにとってスタイルとは何でしょうか?

秋田 タブーを破って発言すれば(笑)自分がスタイリッシュな外観のの持ち主だと「自覚」しています。その性かどうかはわかりませんが、「オートバイには乗らないで下さい」とか「こういう車に乗って下さい」とか言われる事があります。まるで「おじさんりかちゃん人形」みたいに。また、知り合った相手が、10年前にわたしと最初にあった時に「なにを着ていたか」を靴にいたるまで覚えていたりするのを聞くとおのずと「自分の有り様」に意識がいくようになりますよね。ぼくは、服装は「相手へのプレゼント」と思っています。あまりいいものは着ていませんが「新しさ」と清潔感を大切に思っています。できれば会った相手が優越感を感じてもらえるぐらいでいいし会っている事を楽しんでもらいたい・・・

生きると言う事は「生きていてもかまいませんか?」と世間に問いかける行為だと思っています。そのために「デザイン」を使って、ぼくが生きても良いとまわりから許しをもらっているととらえています。世間が許してくれる範疇で、最大限自分本位で生きるのが、ぼくの考える「スタイル」だと思います。

dailystyle 服装の話ですが、私は何年か前に洋服屋をやっていましたが、実は自分で洋服を選べない人がすごく多かったのに驚きました。これだけ情報が多い時代で勉強していない気がしました。情報がない時の方が知りたいと思う気持ちが強くて、わずかな情報をもとにイメージ出来たからでしょうか?

秋田 ぼくも、杉浦さんも服装に関して「生き残った」部類だと思うんです。これはもう80になろうが90になろうが、同じ服装をしていることが可能なものを、今選んで着ていると思います。

それが情報によるものかどうかはわかりませんが、デザインを続けている以上は、砂漠でも水を見い出すみたいに嗅覚は発達していたのかもしれませんね。情報が多いと勉強しないのは「定理」かもしれませんね。

カラオケが発達してもすごくうまい歌手が増えるわけでもないし、デジカメの発達によってカメラマンが増えたのか、インターネットの発達によって作家が増えたのか。ぼくが文章を書くようになったのは、インターネットのおかげですが。服に関しては色々おはなししたい気持ちが強くてかえって困ってしまいますね。別の機会にまたお話したいですね。

dailystyle スタイルはもちろん各個人で違うとは思いますが、生き様や、目的と言うか座標軸を持つ事だと思います。しかし、思ったより人間はとても弱く、誰かの助けが必要になる事がありますね。何が座標軸であるかを見つける様に、自分自身への問いかけがスタイルだと私は思ってしまいます。

秋田 ぼくも、めちゃくちゃ「弱くて寂しがりや」で、先日みたいに名古屋に行って、会う人がいないと、とたんに簡単に途方にくれてしまいました。そうですね、リファレンス(判断の標準)を持つ事は大切ですよね。でも、リファレンスと友だちの多い事はべつの話だし。まだ「途中」でお話に明確には答えられません。

ただ、この「さまよって」いることを「有名デザイナー」が、表明する事は意義があるし、変なアドバイスより励みになる部分があると思っています。

dailystyle 秋田さんも私も取りあえず、大人と呼ばれる様になりました。私が見る限り、私も秋田さんも子供のままですが・・・(笑)ただ一つ、次の世代に何かを残したいと思う様になりました。私も秋田さんも普通?(笑)の大人より何らかのメッセージを残せる立場だと思いますが、次の世代に伝えたい事はありますか?

秋田 まず「大人」の話ですが、安易に自分の事を大人と言い、そんなに年の離れていない年下の人の事を「子供」と表現する人が「おとな」だったためしはないですね。ひとは「年寄り」になれても簡単には「大人」にはなれないと思います。

やはりそこには、質問で出ているように、次の世代を育てる意識がある人に許される賛辞としての言葉であり、どこまでいっても「本人」が使う言葉ではないのだと思います。次の世代を育てる気持ちは多くありますが、それは自分が70とか80になった時、その人たちに助けてもらおうと言う「姑息」な思いもあります。(笑)

次の世代に伝えたいのはただひとつ「今の時代が一番良い」と思う事です。自分が生まれなかった「時」に思いをはせて、今がつまらないと思ってはいけない。また、これから来る未来になれば、やはりその時が「一番いい」と思う事です。

dailystyle 同感ですね、今の時代が一番良いと思います。残したいと言うよりは伝えたいと思う事が、自分自身への問いかけになっているのかもしれません。私は、秋田さんと違って、物を選ぶ立場にいます。

一度、質問したかったのですが、自分の自信のあるデザインが認められなかった事はありますか?そんな時には悩んだりするのでしょうか?それともどうして分からないの?と思うのでしょうか?

秋田 その質問の答えは「ない」とも言えますし、「あった」とも言えます。その昔、事業部の部長さんから「秋田君ね、主張とわがままは違うんだよ」と言われた事があります。ものごとはデザインに限らず「状況」の中から生まれます。その状況から逸脱していれば「ノー」だし、うまくのっかていれば「イエス」の事もあります。

意外かも知れませんが、会社に入ってから、その「状況」を離れて「思い」だけで、デザインした事はほとんどないのです。相手の要求を「見える形」にする「モンタージュデザイナー」だと自分を思っているので、「自信のある形」というのは相手の要求した「理想の結婚相手」を、話より「美人」に描いてあげることです。質問である「認められなかった」時は、きっと相手の感性での「美人」と食い違っていたんでしょうね。「美人」を描くのは全然苦にはなりません。ちょっと「へん」に描くのはかえって難しいのです。

dailystyle 「相手の要求」の相手とは企業でしょうか?それとも個人でしょうか?また、わがままと、素直の違いはどう思いますか?

秋田 たとえば、デバイスタイルの仕事では、企画者でもある社長さんをユーザーに設定していました。それは「複数の人の声」を一人で喋る事のできる希有な才能をもたれているので、安心して「相手であり企業」として考える事が出来ました。

困るのは「企業の代弁者」としてふるまう人ですね。責任を明確にとれなくては、明確な解答は出せないですから。わがままと素直の違いですが、素直でわがままな人も居そうですから、ちょっと返答に困りました、なにせ、ぼくもその1人だと思ってます。

dailystyle テクノロジーの進歩は私の想像を超えて加速しています。何が良い物で本当の事なのか、分からないほど情報が溢れ、便利な物やすぐれた機能が良い物と勘違いしそうですが、作り手の立場からどう思いますか?

秋田 「機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる」と言った事があります。まったくもって、いたれりつくせりの親切設計の車に乗った事がありますが、なんでしょう。その車を作った会社が考えるサービスに、自分をあわせなくてはいけないような不自由さを、かえって感じたのです。そんなに人は「愚か」なんでしょうか。でも、さきほどお話された「服を選べない人」の話のようにクルマの構造やらしくみに興味をもたないで「動けば良い」と考えているのであれば、製造する人は「サービス」として「過剰な親切」を売り物にするのは道理かなと思います。なにか、教育問題みたいですね。

dailystyle デザインはセクシーであって欲しいと思います。秋田さんに会って、デザインされたもの同様、ご本人もセクシーな印象を受けました。それは物作りにとても関係してる気がするのですが・・・

秋田 いわゆる「性を感じさせる」ものをもっているかどうかはわかりませんが、「その人と深く関わりたい」と思わせるものが、ぼくの考えるセクシーです。それは、信頼感や責任感・安心感というものがまざっていて、まちがっても、夜だけ一緒にいればいい感じでなく、24時間ともにしたいと思ってもらえる事です。ものすごく「シンプル」なものが好きだし、そういったものをデザインしているつもりですが、そこに「物語り性」・・・簡単にいえば「いろんな見方が出来るもの」が作りたいのです。たとえば、ただの四角い箱でも、そこに小さな「窓の様なもの」をどこかにひとつでも入れると、その四角い箱は「建築物」に見えてきます。そうなると四角い箱の中で、どんな人が住んで生活をしているか、見ている人が想像して楽しむ事ができると思います。ぼくが考えるセクシーは「想像力をかき立てる」ことかもしれません。

dailystyle 最後にいつも秋田さんと食事をするととても感心するのですが、お店に入っても店員さんと仲良くなったり、置いてある物に興味を示して話してますね(笑)いつもそんな感じですか?

秋田 アムステルダムのカフェでも、シャンゼリゼのカフェでも、自宅近くの豆腐屋さんとの会話もまったく「同じ」。いつもそんな感じです。お店の人に気持ち良く働いてもらいたいと言う気持ちと、もう一つ「人生はオリエンテーリングだ」と思っているのです。テレビの番組で、家の中のいたるところに次の場所への指示が書かれた、ちいさな箱が隠されていて、それを見つけながらすすんで行くのがありますが、まさしくそんな感じで自分の将来が「隠れている」と思って毎日行動しています。

どうも、仕事や「得がありそう」と思う人物にしか、指示を仰がない人もいますが、そういう「きっかけ」にオフはないと思っています。電車で隣になった人、たまたま相席になった人、すべての人には情報があって「きっかけ」があると思っているのです。それがゆえに会話はかかせないわたしの「ナビゲーター」です。

dailystyle 暖かいと感じる事がデザインだと良いですね。少なくとも秋田さんのデザインには、それを 感じてしまいます。ありがとうございました。

[ dailystyle, 杉浦 ]